病気発症と透析
病気の発症
僕が慢性腎不全と診断されたのは小学校5年生の時。学校で行われる尿検査で蛋白がプラスになっていたということで病院に再検査行くようにと診断が出ました。
その時は子供だったためあまり深く考えずとりあえず病院に行き再検査を受け診断では原因不明の慢性腎不全で回復の見込みはないということを伝えらたんですが、その時の母親のショックそうな顔は今でも覚えています。
病名を告げられ食事に関する知識や生活で気をつけることなど多くのことを教えられましたが子供であるため意識して気をつけるということはなく、これまで通りの生活を送っていました。両親は治す方法がないか必死に調べてくれたり、とても高額な漢方薬を飲ませたりしてくれてたのですがかなりお金をかけてくれていたと思います。
中学2年生になり毎月1度の病院は欠かさず行き続けていましたが病気は少しずつ進行いていたので腎生検をすることになり1日入院。背中から注射のようなものを刺されかなり痛かったのは記憶に残っています。
18歳、引越しを機に通院を勝手に中止
17歳のときに不幸があり18歳で引っ越すことになりました。若さとは言え今でも後悔しているのですが初期の慢性腎不全はあまり症状があらわれにくいこともあって病院に通わなくなりました。
車の免許も取れるような年齢なので早々に取っては友達と朝方まで遊ぶ毎日。食生活も乱れ塩分の多いものや動物性たんぱく質のものばかり摂取してかなり腎臓に負担かけていたと思います。
でも特に体に異変はなくその生活が22歳になる年までずっと続きました。
体調・体に異変
僕は高校に行かず16歳から既にアルバイトをしていて、18歳からはかなりハードな仕事をするようになっていました。仕事内容は体力勝負なところがあり時間もかなり長かったんですがその分給料はいいので5年程度続けました。
辞める年の5年目あたりから体調に異変が出るようになり指先や足先に痺れを感じるようになりました。その時にはかなり病気が進行していたんだと思います。
異変を感じる頻度が多くなり手先は真っ白、顔色まで変化が出るようになっていき身近な人から病院に言ったほうがいいと言われていました。でも病院に行ってなかったことで余計に怖くて聞く耳を持たず変わらずこれまで同じ生活を続けていたんですがついに口の中まで尿毒症が進行し口臭まで指摘されはじめたのでビクビクしながら子供のときに通院していた病院へ行くことを決意。
今でも鮮明に覚えていますが、当時の泌尿器科の先生に「なぜ放っておいたんだ」とかなり強く怒られたました。また小学生の時に担当してくれていた先生もまだ勤めていて非常にガッカリした顔で声をかけてくれたのを覚えています。
そしてそのまま緊急入院に。尿毒症が脳に達する寸前だったようです。尿毒症は放置しておくと脳まで達し死にいたることがあるんだとか。
透析
緊急入院した際に「すぐに太ももから透析するから」と言われていたんですが、シャントを作るまで薬でとりあえずできることをするということになりました。
そして入院してから1週間後利き手とは逆の左手首あたりに作られ独特の「シャーーー」という音をはじめて聞き人間の血はこんなに勢いよく流れているということに驚きました。移植した今でもシャントは潰しておらず同じ経験者の方ならわかると思いますが、寝るときや横になったときにその独特の音が聞こえます。
シャント手術後さらに1週間が経ち初めての透析に。
透析について事前にかなり親切に説明され痛みがあること、怪我をしないようになど多くのことを教えてもらいました。
はじめて針を見たときの衝撃は頭に今でも残っていて人に説明するときは爪楊枝を例に話すと当時の自分の驚きと同じようなリアクションをします。しかも2本なので1本目の痛みを知った直後に2本目も刺すのでかなり辛かったです。
その日から僕の透析人生は移植する3年後まで続きました。